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Bスポット療法
 3年前のある秋の日、朝起きると鼻の奥の不快感が襲った。いずれ治るだろうと放置していたのだが、一向に治らず。その後も様子を見るがいよいよ生まれて初めての耳鼻科へ行かないと、という気持ちに傾き始める。近所で割と評判のいい耳鼻科は、待ち時間が一時間以上の事もざらだという。多くの患者たちは受付を済ませ、買い物などに出かけてしまったりするようだ。

名前を呼ばれ診察室に入り、さらにそこから数名待っていて10分ほど待つ。症状を伝えると「副鼻腔炎」でしょう、ということで処方された3日で1週間分と同等の威力をもつという抗生物質と鼻水や痰を切るというムコダインを服用し始める。1週間後、2週間後、ひと月後と様子を見せに行き、そのたびに細長い噴射器のような金属のチューブで鼻の中をスプレーされ、その後はネブライザーとお決まりのパターンを繰り返すが一向に良くなる気配もなく、耳鼻科へ向かう足はだんだんと重くなり、その間隔も空いて来てはフェードアウトを繰り返すこと数回。1年ほど経った頃だろうか、不快な症状は一日として消えることさえなかったが、度を超えると閉塞感に襲われるような日もあった。その場しのぎであろうスーパーミントキャンディなどでなんとか乗り切りもしたが、痺れを切らしまた耳鼻科へ行った。

以前に処方された薬を飲んでも全く改善しない、いうなれば鼻の奥でずっと鼻水が貯まっている感じがして、鼻をかもうにも吸おうにも何も解決はしない。これはいったい何なのでしょうか?すると国大を出てそこそここの辺で有名な耳鼻科の先生は、そういえばレントゲンとりましたっけ?と。首から上を放射線にさらし、出来上がったスカルのシースルーは白く濁ったサイナスなど見つからなかったのだった。副鼻腔炎・・シロだった。そこでその名医と呼ばれる医者は「アレルギー性鼻炎」との判断を下し、ムコダイン(のちにこの薬は「おまじない」程度だと知り合いの耳鼻科の医師に聞かされる)と抗アレルギー剤が処方されたが、これでも何も変わらず、結局は日本の医療保険制度の無駄遣い。鼻うがいにもすっかり慣れていた(これはこれで鼻がすっきりとして気持ちが良い)。

ネットで自分の症状をとにかく探す。後鼻漏の症状も当てはまるのではないか?とにかく苦しいときは苦しい。そんな日々を送っていた。ある日試しにのどスプレーをのどに噴霧してみると、通常時で痛みを感じないのにスプレーしたところが滲みる。その後のどの不快感はしばらくの間消え去ることが分かった。のどスプレーをする日々。以前にアメリカに住む友人にもらったプロポリスが入ったスプレーがあることを思い出しいざやって見ると・・すっごく滲みる・・!そのせいか普通ののどスプレーより不快感がなくなることに気づいた。このあたりでBスポット療法という隠れた治療法があることを知ったのだった。

Bスポットというのは風邪で喉が腫れた時にルゴールを塗るあの場所の事で、上咽頭を差す場所に、1%の塩化亜鉛水溶液を塗布するという簡単ながらそのエビダンスには程遠く、発祥者が「どんな病気でも治る」と言ってしまった故にいうなれば闇に葬られた治療法なのだ。ゆえに割とお年寄り以上の年齢の医者なら知っているが、それでも実際にそれを行う医者はほんの少しだけ。この治療法に興味を持った私は近隣で探すが、区内、市内には見当たらず、少し幅を広げて川崎と茅ヶ崎にある程度積極的にこの治療をしている耳鼻科を発見する。これが今から一年もしないが半年以上前だった。この間はプロポリス入りののどスプレーでしのいでいた、というかプロポリスの持つ収斂作用を塩化亜鉛水溶液の持つ収斂作用と重ねて、(奇跡的に)治る日を夢見ていたのだろう。ほとんどなくなってしまったボトルをネットで取り寄せた。

しかしながらいよいよプロポリスにも頼れなくなって来るのは実感してた。そろそろあのBスポット療法を試す時がやってきたのだった。色々な書き込みを見てみる。とにかく滲みて痛くて一日をふいにしたなど、「痛い」記事が目に飛び込んでくる。プロポリスもかなり痛かったが・・・。その時は来た、とばかりに決心し、茅ヶ崎にある耳鼻科へ向かう。車で行こうとも考えたのだが、金曜だったので帰りの渋滞が少し不安、電車で向かった。

駅から近いというその医院はすぐに見つかった。待合室には数名のみで時間がかかる様子もなかった。受付を済ませ名前を呼ばれる間、5分ほど。今までの経緯をざっと話し、Bスポット療法(またの名をクロールチンキ療法)が残された道だと思うので試してみたい、ということを伝えた。私より少し年少の医師は、しっかりとした口調と態度でBスポット療法について簡単に教えてくれた。最初はその方法さえ推奨しないような感じだったが、せっかくだしということで試しに?やることになった。

最初はマイクロファイバースコープを片方の鼻から入れ、上咽頭の様子を見てみるとやはり赤くはれているということだった。やはり患部はそこにあるようだった。鼻の奥、ずっとそう信じて来て、名医も疑わなかった鼻の奥とは、実は喉の上側であることがようやく判明。プロポリスのスプレーでうすうす分かっていたが・・。スコープと入れ替わりに名医のところでも使った細長い管が付いた噴霧器でシュッシュと鼻の奥にスプレーをする、今度は長い針金状のものに良くある薬瓶のふたを開けて、先端に付いたコットンに浸し、迷いも見せずに鼻からそのワイヤーを差し込んだ。うげーっ、今までに届いたことのない個所に薬を浸したワイヤーが・・間髪いれずもう片方の鼻にも同じようにワイヤーが差しこまれた。滲みます・・が、プロポリスで慣れていたせいか、膝が砕けるような痛みはない。いうなればプールで呼吸を誤り、鼻の奥にプールの塩素入りの水がツーンとMAXに滲みている感じ。何とかなりそう、そう告げると医師も感心していた。そしてその後治療はそのまま放置プレイへと突入。(乙女の両方の鼻からはワイヤーが飛び出ている)数分置いたところでワイヤーを抜く前に、その個所のあたりをこすりつけるようにしてから抜いた。ネブライザーをしてる間に、喉の奥から溜まっていた感じの唾のようなものが大量に出る。スプレーをしてこうなる時もあったがこの後は快適に過ごせるのだ。2880円の会計を済ませ駅に向かう。

しばらくしてなんとなく症状が軽減された感じがする。今はまだ不快感は100%取れきれていはいないが、断じて軽減されている。少し遠いがもうもっと良くなるまでしっかりと通ってみようと思う。ちなみに処方は必要ないでしょうと、出されなかった。意外とこの医者は、ろくに診察もせず口数の少ない名医より信用できるのかもしれない。行って良かった。ちなみに処置後数時間はずっとツーン感が鼻の奥に消えることはなかった。しかしながら私には十分耐えられる痛みだったのでこの療法が向いているのかもしれない、と思った。
author:POP, category:ディープな話, 00:18
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ヂケンです
先日、新橋駅あたりで子供のオーディションが終わり、同行者ともども駅へ向かったのでした。子供たちは意気投合していたので名残惜しいも、そろそろ解散?って言う段階で・・。セシィが原宿に買い物に行きたいというので右手で携帯を握りしめ、乗換検索をしていたところいきなり背後から変な感触が・・お尻の当たりに!当たるとか触れるではなくて、どう言ったらいいのか、両足をまっすぐ揃えて後ろ向きになった時に、お尻の下部と足の付け根あたりに出来る、デルタ地帯(笑)あたりに後ろから手がずっぽり・・ってお父さんたちがのほっとタイム=良く電車内で読んでいるいかがわしい新聞の連載小説のようですが、そうなんです・・なんとこの歳で(注意!「この歳で」は省いてもよろしい)

痴漢に遭いました!!

Oh! my god....あり得ん

ちょっと何すんのよー!!


と叫ぶ私・・続けて

人のこと触っただろうよ〜!

すかさず待たんかい!と、とっさにその男の手首を空いていた左手で捕まえたのでした。

「触ってない、ぶつかっただけだ」としらばっくれる男に

「ぶつかってそんな触り方するわけないだろう!」と(多分)絶叫・・。

交番、交番・・と探すが見当たらず、検索終了して110番通報・・。


「今、新橋の駅前でお尻を触られました。男は捕まえてます。すぐに来てください」

大体の目標物を告げて待つ間、ダンナに連絡。その辺からは一緒にいたたまたま知り合いだったAJが男を拘束。警察が来るまでの間、何度か私と男の問答が続く・・。ほぼ午後6時の新橋駅。私もあまり見ないようにしていたけどギャラリーが・・怒りでもそんなこと構う暇もなく男に「あなたにはお話しする資格などありませんことよ」とかいう意味合いでかなり罵っていたと思われます。男が口をきくたびに酒の匂いがしたのと、よくいう作業員風、しかも服装はTシャツ、短パン、サンダルと完璧にOFFの作業員風・・(泣)。

MAD WOMANと化した私は冷静になるまでしばらくの時間を要しましたが、通報しても来やしない警察官に業を煮やして、新たに110番通報しましたがそれから待つこと数分。その男も「警察なんて来ないよ」的な事をほざくので、なんど顔に蹴りを入れたことか(ホントに入れるとこでしたけどね)どこにいたんだ警察官二名がやって来ました・・。最初の通報からほぼ10分・・。男はひとりの警察官に「おや、あんた昨日も見かけたね・・」と何やら有名人の模様。とりあえず交番で簡単に話を聞くのでと、汐留口にいた私たちはぞろぞろ移動・・。簡単に話を聞かれたところで(といってもそんなに簡単じゃなかったぞ、免許見せたり)、リーマンごった返すSL広場すぐ近くにある交番からセシィと二人でお迎えのツートンカラー、屋根に電飾着いてるなかなか手入れの行きとどいたヴィークル、その名もパトロールカー、略してパトカーに乗り込む。どうみても何かやらかした人が連行される風で、しかも赤色灯回ってるし、しかも人がやたら多くて細い道なんて最徐行だし、しかもその辺の人見てるし(号泣)・・とビビるセシィ。そんな人の群れをすり抜けて10分未満のライドが終わり、出迎えたドアマンならぬ私服のおまわりさんに誘導されて4階に連行される(連行じゃないけどww)私たち母娘。今までヒマだったデカ達で仕事中に掛けポーカーでもやっていたような、犯罪匂いのするのフロアはちょっとだけごった返す(ややフィクション)。

個室に連れて行かれ、まずこの男の処罰をどうしたいか聞かれる。つまり許してあげる→男はこっぴどく叱られて釈放、もしくは許さない→男は逮捕されて勾留、取り調べ→検察庁に送致になり、その先は裁判所に判断がゆだねられるということで、ふざけんな状態な私は迷わず後者を選択・・・これがトワイライトゾーンの入り口だということにも気が付かず・・・。

個室では担当の生活安全課の刑事さんにいろいろ聞かれる。っていうか、最初は交番で聞かれた基本情報・・またっすか??この辺のアナログさが公務員の業務だと思いましたよ・・免許もまた見せたしさ。辻利(お茶のPETボトル)を出していただきました。結局合計2本のお茶と(350サイズ)を飲みほしましたが、お茶でどうしろっていうのかっていうくらいお腹すいるし・・取り調べの最中に、このデカ,・・

「実は私、新婚でしてね・・・子供が欲しくて」

ええ〜っと・・知りませんよ・・(笑)。何の脈絡もない会話でしたので、ほぼ、「ダカラナニ?」と「ラ」の部分は巻き舌チックに片言の日本語で返そうと思いましたが、まあ場を和ませるための話術だと思い、会話につきあってあげました。まあ普通に取り調べは続き、さりげない会話(ということにしておきますww)、昔は52キロしかなく今は85キロだという自慢のボディを持つ方でしたが暑いけどリモコンがないと言ってました。確かにリモコンは便利だけど、リモコンないと輪をかけて不便な機能を持つエアコンです・・。空調は普通にあったので私は・・あえてもう一度言いますが私は暑くなかったですよ、Iさん(笑)。途中で飴の差し入れがあるものの、ご飯食べて・・と思ってた矢先の出来事で、取り調べの他実況見聞?とかなんとか、私に見立てたわりには冴えないマネキンが、これまた冴えない恰好をしていて、犯人に見立てたデカ△私の記憶の通りに、マネキンのお尻に手を突っ込み記念撮影。もう片手はピース?ってことはなかったですけどね・・。そんなんでターザンの雄たけびのように鳴り狂う私のお腹・・・。

まあ出迎えてくれたデカ(年長者、班長?)が、犯人にこう手を突っ込まれて、ぶっちゃけこんな感じでされましたか?というジェスチャーが、妙に生々しく、また角度とかが妙に上手くて惚れました・・なわけないですけどね・・。

やれやれ、雄たけびを上げ続けるターザン腹もそろそろ音をあげる頃、ほとんどの調書が完成しましたが、デカ Α自慢はボディだけでなく、日本語文章力のなさ、といういまさらながらの添削てんこもりで上司から突き返された調書を持ってきてさらに書き直し作業に入ります。しかもこの上司・・達筆で、読めない(笑)。さらに30分ほどが経過して、やっと私も釈放され確か新橋駅の近くにあった韓国料理の店に行こうと思い、駅まで送ってもらい店を探すのにウロウロ・・。結局見つからず、文字通りガード下の中華屋に入るが、これまた美味しくない店で・・。中国人女の店員はやっぱり愛想ないし、なぜかガン見してるし・・

「イミグレーション」

とか言って手帳出すマネしてやれば良かったかな(笑)。それでもほっとして瓶ビールを手酌で注ぎながら、ピータン300円とか、かなりシュールな小皿を頼んだりしてチビチビやってると電話が鳴る。「先ほどのIですが」・・・今度は何が足りなかったのでしょう?と思ったら、犯人の手指の付着物を採取してあるので、今日はいていたジーンズを持って来て欲しいということで、それを鑑定に出すそうですよ。しかも郵送NGで持ち込みオンリーなんだとか・・。はあ?まヂっすか・・と一応了解の返事をして電話を切りました。Yahooの地図で見たけどまた愛宕署ってアクセス悪いじゃないですか・・。

和みムードだった取り調べ中に、犯人がどこかへ移送される模様でしたが、これから留置所に行くのに健康状態をチェックしないと人権にかかわるということで、保険も効かない自費の検査を受けるということでこれは都費で賄われるということです。それ以降も勾留されたりということになると、一日その人間に約3000円の必要経費がかかるそうで、これももちろん皆さんの血税で支払われるということです。それからまた結局3時間越えの私の費やした時間も何の補償もなく、住所不定の男を相手取って民事裁判起こしたって意味ないし、どうせなら酔った地位も家庭もあるサラリーマンなら、まだ可能性として年末ハワイも家族で行けたかもしれないと思うと、全くの事故ですよ、コレ。まあなんとも理不尽な私と都民・・。なにやら遅く駆けつけた警察官に「前科者なの?あの人」・・と聞くと答えかけて個人情報なので、といきなり口をつぐんだがかなりの前科持ちらしい。痴漢行為では初めてらしいが・・こうなったら圧勝のポロッポー鳩山にこの辺もガツンと改革してもらってはいかがでしょうか・・ねっ、アソーさん♪

結局あれから三日ほど経ちますが、ジーンズは提出しないことにします。その辺でなんかの用事があって行かないといけないならまだしも、ブログネタにするといったら少年のように目を輝かせて、アドレス教えてと言ってきたデカさま、こちらへは無事にたどり着いたでしょうか?これを読んだらデカ,海Iさんにそうお伝えください。それに今、気に入ってるジーンズは2本しかないんだよね・・でも顛末はブログにしっかり書きましたので♪

結局散々な一日の終わりになりました・・。自宅近くの駅から徒歩5分、タクシー5分という絶妙なロケーションの我が家へは、迷わずタクシー5分をチョイス(もったいない)。二度と行かない味だった羽衣って言う中華屋で食事を終える頃に「そういえば・・」と思いだしたのが、韓国料理は確か有楽町だったー(号泣)。

羽衣店主様、餃子のタネはフードプロセッサ掛けちゃダメじゃん
by 餃子の達人(私)

そうそうまあ何はともあれ、お世話になりました〜、愛宕署の皆さん。IさんってIさんでよかったんだよね?入れ替わり立ち替わり数名のデカ達が「私は○○です」と言っては立ち去って行ったもんで、最後の電話でIですって言ってたような気がした私は、こないだも旧姓オガタ、現在ナカムラの友人に、なぜかコバヤシという名字の宛名で郵便物送った(着いたからすごい)人の名前覚えない常習犯です。
author:POP, category:ディープな話, 23:06
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だからね
CO2削減はどうなるんですかー?

どのテレビも経済効果だのなんだの言ってて、高速道路の1000円均一の焦点がそこに絞られてるけど
誰かが儲かれば温暖化はそれでいいのでしょうかねー?
消費者は結局出費にしか終わらないことを忘れていませんか?
ガソリンも高いと困るけど、Co2削減が重点に置かれて地球を大切にって言う趣旨なら
もう少し値段高くても仕方ないと思うし、そこで仕事がなくなってしまって
経済的に苦しくなる会社や家庭が出てきたとしても
そういう犠牲がどっちにしろないと今の世の中の無駄遣いから起こる
地球に優しくない悪循環は治まらないじゃないのかな・・?
そしてCo2の排出量の割り当てを後進国から買っているという事実。
小沢さんだって自民党救済のスケープゴートで、二階さんはさらに民主党だけじゃないぞ、という捨てゴマ・・
あーあ、日本もこんなもんか、やっぱし・・

交通量の多い交差点で信号待ちをしていたりすると
ここにいる車だけでアイドリングストップしたら・・と思うけど
皆さんアイドリングストップはしていますか?
author:POP, category:ディープな話, 16:14
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安いは悪い
http://storyofstuff.com/index.html

I love inexpensive! but cheap is not good always. People buying stuff to throwing away.
Check this movie and think what a hell of things we're doing day by day.
I've been thinking what this lady says almost everyday.
She's damn right.
author:POP, category:ディープな話, 22:30
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シアバターの行方
つい数週間前のことだが知り合いのやっているカフェで一人の男性に会った。私の知り合いが「今度いつアフリカに行くの?」と聞いていたので、アフリカで何をやっているのか尋ねたところ、「森を作ってるんです」と。アフリカの砂漠化した大地に、粘土を覆った根がついた苗を植えて「森」を作るんだとか。粘土で覆うことによりアフリカの昼と夜の温度差で出来る結露を利用して水分を補うという。先日の沖縄のサンゴの白化に対し、サンゴの栽培をしている話といい、20年後にそれが果して失敗に終わっても「やらないことには始らない」のだ。しかもアフリカの砂漠化は恐ろしいスピードで進んでいるらしい。原因は地球温暖化なんかも大いに関係するという。つまり限られた先進国や発展途上国にやっぱりその責任を感じてもらわないわけには行かないんだろうな・・。

たまたま洞爺湖サミット関係でTBSの筑紫さんが最近まで看板でやっていた番組で、アフリカの現状を伝えるというテーマに月曜から金曜までいろいろな話題だったが、そのうちの一つがシアバターだった。私たちソーパーの間でも非常にシアバターの保湿には定評がある。ロクシタンや動物実験をかなり禁止しているあのTHE BODY SHOPでもシアバター入りのプロダクツがとても人気で、アフリカではここのところその輸出量が増えているらしい。アフリカでは頭痛がすればおでこになすりつけ、擦り傷ができれば擦り込み、料理にだって使う、とにかく生活になくてはならないものだという。それが先進国の需要が伸びたせいでシアバターの価格はアフリカのマリ共和国では三倍に跳ね上がり、もともと家族6人が1日一回の食事を(しかも小麦粉をこねたような食事と言えないようなもの)手に入れるのがやっとの貧しい生活をしている人々が大半を占める状況で、なくてはならないモノが手に入らなくなっている。それだけではなく小麦の価格も倍以上になったため人々の暮らしはシアバター同様、困難を極めているらしい。原油だって小麦だってバイオ燃料になるトウモロコシの値段が上がるのも世界中が100人だったとしてもその1人にもならないような、ごくごく一握り分の65億の人間の「欲」のために、アフリカのように貧しい国の人々は当たり前で、豊かといわれている日本や他の先進国の人の暮らしまで追いつめている。そんなことを考えるとシアバター、確かに私も好きだけどちょっと見方が変わるな。かなり前にパームオイルでもエコの問題として某掲示板で取り上げられていた。集約すると、人々の物欲を満たすプロダクツには一言では語れないストーリーが存在していて、大概にしてちょっと悲しい話なのである。ダイヤモンドなんて論外・・。

なんでもデフレで安くなりすぎて、ちょっと風のある嵐のような日の翌日には道端に折れ曲がった傘が無造作に捨てられている。100円で買えるもんなあ、壊れるし壊れたら捨てるよね、そりゃ。あまりにも安すぎるのも問題なんだろうな。これだけエコだなんだと言われておきながら、エコバッグの普及率はレジ袋が有料なOKマートを除けばまだまだ低いんだと思う。どうせならレジ袋100円にしてみたらどうだろう。人間の欲というのはすさまじいもので、簡単に忘れない記憶力さえ養ってくれそうな気がする。そして簡単に捨てない。ゴミ袋でも10円しないもんね。タバコも1000円にすれば道が吸殻でいっぱいってことも多少は効果があるはずだ。そう言いながら企業はガソリン車を造り続けるし、いっそハイブリッドオンリーにして国も積極的に補助金を差し伸べてはいかがなものでしょう。しかーし首都高の交通量が減ってるとか、若い世代の自家用離れが進んでいるとか、なんだか正攻法ではないが皮肉な形でしぶしぶと二酸化炭素の排出が減ってるんじゃないか?と思ってしまう。長い信号のアイドリングストップだってこうガソリンが高けりゃ面倒でもやってしまうよね。反面、世界に貢献しているような錯覚じゃないけど、極力無駄なガソリンの消費を防ごうとするよね。というか今までが無駄遣いし過ぎだった。

でもでもよく考えると嫌だなあ・・金、なんだよね、世の中って・・・。毎回忘れずエコバッグ持って行こうっと(よく忘れる)。
author:POP, category:ディープな話, 22:58
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小さな命スペシャル『愛してるよ、カズ』
いつも朝見ているテレ朝で昨日たまたまダイジェストを見た。いや〜、しょっぱなから泣けたね。そのオンエアがその晩あると言っていて、しかも7時なのでプログラムして子供を迎えに行った。帰ってきたときはやっぱり放送が始まっていて、ご飯の支度などしながら途中から見たのだけど、涙なしには見ることが出来ませんでした。

このドキュメントは2歳半で頭の筋肉にガンが見つかった小児がんと闘う男の子、上総(かずさ)君で当時二年生。去年の丁度今頃に長崎放送でオンエアになった番組だと言う。既に人生の半分とも言える三年半を病院で過ごしたという。白血病になり余命二ヶ月を宣告され、その期限だった頃から取材が始まったそうで、結局最後は両親と家族に抱かれて息を引き取る、というディープな話しだった。母親は辛い顔をしていると子供にどうしたの?と悟られるがために、この子のために出来るだけ笑顔でいようと努める。死を目前に控える我が子を目の前に、いつもニコニコしている母親のふがいなさに見ていて涙がこぼれる。バイタルレベルも著しく低下した時に、呼吸器をつける時がやってきた。その時に母親がとても優しくそして力強くカズ君に「愛してるよ」と言う。カメラのアングルで「オレも」と口が動くのが分ったのだが、母親には聞こえなかったようで聞き返すと、今度はちゃんと「オレも」と音にして答える。家族がもう一度目を覚ますんじゃないかとはかなくも最大の望を抱きながら「カズー!」と呼び続けるのだが、小さな命が消えてしまう。人が実際に死ぬ瞬間などなかなか立ち会えるものではないし、それを克明に映し出す踏み込んだ内容にショックでもあったが、やっぱり生きているって素晴らしい、と思ってしまう。

この小さな命が親だったりその周辺にいる大人だったりする人間達に伝えたものは量り知る事が出来ないし、命にはやっぱりそれぞれ生きる意味も生きていた意味もある。

昨日見逃した部分を見ようと朝から結局最後まで見てしまってまた号泣してしまった。女性は特に脳の機能として自分に置き換えて『体験』することが出来るというしやっぱり母親の気持がジンジン伝わってくる。あんなに強くいることが出来るのかな、なんて思うけど、そうなったらやっぱり最大限に尽くすしかないもんな・・開き直れるのも女の機能である。あれがイヤだとかコレがいいとかわがままを言って、普段怒鳴り散らしている自分の子供たちを見ると、大変だけど子供たちが生きていて意味があるんだ、と自答してしまう。小さな命が与えてくれるものは際限なく、それで人は成長できる。一番学ぶものは「忍耐」だったりするのだが。
author:POP, category:ディープな話, 15:09
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訂正
先日の記事ですが、リンク先が一部間違ってました。

正しくは【コチラ】です。

911の裏側、ニホンゴバージョンとでも言いましょうか。
興味のある人は是非見てください(100分位)
author:POP, category:ディープな話, 22:38
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身内の不幸
先週の土曜日に父の妹が急死した。心筋梗塞だったそうだ。享年61歳。私はこのおばに最後に会ったのがかれこれ10年も前になるだろうか・・。

父は鹿児島生まれの中国人で16歳の時から横浜に来て中華街でコックとして働き出す。その約10年後に母と結婚して私が生まれる頃、父は独立して本牧にある小さな住居が二階にある店舗を構える。26歳の時であった。父も母もそれぞれに10人兄弟姉妹という大家族である。商売をやっていたと言う事もあり、その兄弟姉妹たちは田舎から出て来ては我家を頼ってやってくるのだった。とにかく小さな頃から気がつくと父方母方それぞれの親戚がだれかしらいつもいるような家だった。その中には今回亡くなったおばもいた。

おばは若い頃きれいだったらしく、やはり華僑で商売をしている家に嫁いで行った。何があったのか良く分からないが大人しく内向的な性格のおばはこの頃から心を病んでいったのだった。それから彼女の人生は閉ざされた病院という世界でのものだった。私は子供だったため、多くは教えてもらえなかったが子供心に「そういう人達がいる病院」にいるというようなことは察していた。父の他の妹の所に世話になったりしながらも、最後は施設に入っていた。そしておばはそこで数年暮らし、そこで亡くなった。生活保護を受けていたらしく「お別れ会」という葬式に代わるものを施設でやってくれた。私たち甥や姪も都合のつくものは参加したが、ほとんどの人が会ったことのないおばの息子がなかなか来ない。お別れ会も始まり、私たち親族が焼香代わりに鐘を鳴らす。あまり線香を焚くと報知器が探知してしまうためだった。その後、「●●さんと最後のお別れですので、お時間のある方はホールまで来てください」と施設内に放送が入る。たくさんの入所者が列を作っていたが中には涙ぐむものもあり、おばとのお別れをしてくれた。晩年のおばは数年前に病気も完全に良くなり、社会へ少しでも復帰するべくという気持ちもあったようだ。施設の人が金曜日まで本当に元気だったのにあまりに突然で・・と言っていた。この施設、いわゆる精神に障害がある人たちなどが多く暮らすところだったようで、お別れに来てくれた人を見て私はちょっと困惑した。ここで?晩年を過ごし、寂しく死んでいったんだと・・。

一通りのお別れが済み、市が手配した葬儀社の方が棺にお花を入れるように言った。家族はみんな何がどうなっているか分からないために花を持ってきた人間は一人もいなかったのだが、私はてっきり別れたおばの夫が彼女の生活費を工面してくれていると思っていたので、生活保護を受けていたと言う事も知らずにいたのだが、葬儀から火葬に関する費用は市が負担してくれるようで、用意された花はばあちゃんちにありそうな仏花、黄色と白と紫の菊と慰めばかりのカサブランカがなんとも可哀想だった。花を入れ終わっても一人息子はまだ来ない。ホールもだんだんと物が片付けられて行ったところで、従兄弟が彼の父親の兄の奥さんと二人でやっと到着した。葬儀社の人が「もう棺を閉めてしまうとお別れが出来ませんのでもう一度お顔を見てあげてください」と言った少し後だった。彼は閉められる寸前の市の用意した一番安い棺に眠る母親が骨になる前にその死顔に会えた。前夫と疎遠になっていることは感づいていたが、彼が最後に母親に会ったのはいつだったんだろう・・ホームの人も会った事がないと語っていたのでかなりの年月、近くにいながら顔を見ていなかったと言う事になる。前夜は一晩中泣いていたと聞いたが、立ち尽くす彼のその背中から感じる事が出来たのは後悔と言う思いだけ、に感じられた。

たった一人の母親と彼女のたった一人の子供が、年月を超えて引き合わせてくれたものは「母親の死」という取り返しのつかないイベントだった。

一緒に来た彼の父親方のおばに当たる人も、そこそこの商売を何十年と続けている家柄らしい、どちらかというと身なりも裕福ということが見えるような装いで、おばの事もそれこそ何十年前から知っている人だったようで、人柄は決して悪い人でないと思った。火葬場についてから荼毘に付され、お骨を拾うまでの間、私たちは休憩室で話しをしていた。色々あったけど、会いに行くタイミングを見失ってずるずると、そのうちどの顔下げて行けばいいか分からなくなってしまった、と言う事でこの女性は会いに行くこともなかったそうだ。そして「あそこでたくさんの人に見送ってもらえて良かった」と言った。一瞬冷たいな、と思ったりもしたのだが、社会に適応できず心を病み、実の兄弟からもそれぞれの事情で結局は誰も面倒を見ることが出来なかった(おばAは数年間面倒を見ていたみたいだが、家族が病気でそれもままならず、今の施設にお世話になったそうだ)ある意味見離されたおばは、ああやっておばと同じ様に心を病んだり、障害を持ちながらも、生きていた同志たちに囲まれて、健常者といる時にはできないような楽しい思いもしたんじゃないかと思う(そう思いたい)。

心身ともに健康で、車を持って、家を持って、子供に教育費を使って、ペットを買って、ブランド物のバッグを持って、貯金もあって株式投資をして・・おばの人生の大半はそういうものとは一切縁がなかったが、だからと言って可哀想だとジャッジは出来ない。そういうもの全てやそれ以上に縁がある人だから幸せだとも限らない。彼女の欲しい物、それは子供に会うことだった。彼は現在38歳で家業をついで一軒の店を任されているという。結婚して5歳の女の子がいて・・そこそこ普通の幸せを手に入れているようだった。誰もが「何で母親に会ってあげなかったの」と言いたかったに違いない。しかし新しい母親もいて、そこに本当の母親のいない生活が本当の生活になって、兄弟姉妹たちでさえおばを救おうと向き合えなかった理由も彼なりにある。誰も彼を責めたりしなかった。むしろ「最後の最後に会えて、本当に良かった」と言っていた。おばも報われるだろう。遺品として受け取った母の晩年の頃の鎌倉に行った時の写真や安物の腕時計を鞄に仕舞い、遺骨は一旦妹の所へ行く事になった。納骨は来週の火曜日に、近くにある父が建て祖父母の眠る我家の墓に入る事になった。

まあそんなところですが、父をはじめとして父の姉と妹三人とその夫と子供たちが集まったのですが、まあ父の姉妹はやかましい(笑)。お別れ会が始まる前におばAとおばBが言い合いをはじめ、おばBは「もう嫌だ、あんたとは口聞かない」などと始まる始末・・。結局解散する前でにこの二人はあと数回小競り合いしてました(笑)。最後はその中でも一番大人しい長女と末女が我家にやってきたので、丁度そこにあったアルバムの一枚の写真には亡くなったおばに抱かれる赤ちゃんの頃の私や、同様におばAの写真も見つけて我家の本牧時代の話に花を咲かせました。

親と口聞いてない、親の顔を何年も見てない、そういう人は次に会うときが親の死に目、だったりと後悔しないようにしてほしいと願うのでありました。
author:POP, category:ディープな話, 21:26
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事件です!
今日の夕方、プチぎっくりで横になっていたらセシィと友達二人がリビングにやって来てイス取りゲームを初めてうざいなあ・・と思っていたら誰かがチャイムを鳴らす・・。はいぃ?と思って何気にドアに映る人影を見るとなにやら男性で、おいおいまた何のセールスだよ、と思ってインターフォンで応答したら「すいません、テレビ朝日の報道ステーションと言いますが、今朝横浜駅で小さな女の子が刺された事件の事で」というので、出かけてたから知らなくてびっくりしてドアを開けると この人でした!すぐ近くにはカッパを着たカメラマンと音声さんも従えて取材のようでした。なにやら話しを聞くと刺された女の子はうちの近所の子供だったらしく、玄関先のデーカンの近所の人にもらったチビッコ自転車を見て、このうちだったら関連あるかも、とピンポンしたようでした。まさかこんな近所の子供が被害に会っただなんて!富川さんは公園の場所など聞いてましたが、雨だし誰もいないよ〜〜。不謹慎発言かもしれませんが、なかなか良い男でしたよ。

出張中のダンナにすぐ連絡をすると、用心深いアメリカ人の本領発揮です。実はセシィが夏ごろ忙しかった時に何度か一人でダンスクラスに行かせたりしてたのですが(帰りはお迎え)、それももうなし!という事でした。

そんな目に遭うのも確率的にいうと早々あることではありませんが、簡単に人に刺されたりして死ぬ人も少なくない事を考えると、外出も命がけだと言えるのではないでしょうか・・・。女の子が無事で何よりです。
author:POP, category:ディープな話, 23:26
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つじつまあわせ
突然の事でショックだったけど、元気です。彼女の身内と話したわけではないのですが、友人の自殺の理由はとある方との会話で自分なりに解決できました。ここ数年会っていなかったので勝手な事と全てあとづけのつじつま合わせですが、スピリチュアルな特別な力を持つその方によると、彼女の前世は彼女がなくなった歳でやはり自殺している事が有力だと言う事。そしてそれを受継いでしまった彼女の宿命はたやすく変えることができないと言う事。彼女は33年と言う短い人生だったけど、その日に向かって一生懸命生きた事、など決して霊の世界などを強く信じる私ではありませんが、例えば付き合っても男性に溺れる事はなくどちらかと言うと冷めていたような感じもするのですが、無意識のうちにその日が来るのを知っていて悲しい思いをする人を最小限に留めたのかとか、何をそんなにというくらい貪欲に遊んだり、彼女のお父さんが告別式で「自分達も出来ないような経験をたくさんして、太く短い人生だった」と言ったけど、やっぱりその日を知っていたのか?そんな小さなひとつひとつの事を考えると合点がたくさんあるというか、もしかしたらそういう風に信じたいとの思い込みがそうさせるのかもしれないけれど、でもなんだがとっても前向きに彼女の死を捉えることが出ました。

死顔も本当に安らかで、とても救われた気持ちです。突拍子もない事をする子だったので、なんか「やっちゃいましたよ」と照れ笑いしているような姿も、「自分でも良くわかんないんですよねー」とあっけらかんと言い放つ姿も、「ホントに大丈夫ですから心配しないで下さいね」という人に気を使う姿も、こうやって書き綴っている今も涙は出てきますが、自殺=不幸、重い、暗いというようなネガティブな気分でないのはとっても不思議です。

でもね、やっぱり辛いです。私たちのグループは(私がちょっと飛びぬけて年上でしたが)一人前の女性として生きる三十代前の女の子の月日を一緒に過ごして成長してきたし、本当に楽しい思い出しかないのです。私と誕生日が一日違いだったりして、歳は離れてたけど気が合ったのでつるんであちこち出かけたり。特に二人で行ったマイアミは楽しかった〜!片道4時間かけて車でセブンマイルスブリッジを渡りキーウエストまで行った帰りに、彼女が運転していて警察の車を発見したから「気をつけて」と私が言うと、てんぱったのかなぜかスピードアップした末に警察に捕まり、この時に限って私の国際免許も彼女のIDもホテルに置き去り・・私のパスポートが辛うじてあったのでそれでなんとか勘弁してもらえた事件とか(笑)、夜中のぬるい海水のビーチでダラダラしていたら警備の人が来て、先週このビーチでホールドアップがあったから危ないから帰りなさいって言われたり、同じビーチで昼間、横にいたゲイのカップルの肉体にサングラス越しに見とれたり、夜はバーやクラブを回ったり、昼間は買い物したり。どこのレストランも美味しかったし・・・。

とにかく裏表のない付き合いやすい子だったので、告別式に来ていた家族はもちろん友人達は男女の差もなくとにかく号泣と言うような最後でした。実際に葬儀会場まで行く間に二度ほど道を間違ってしまったのも、致命的な方向音痴だった彼女の仕業だったかもしれないし(笑)、多分「こんな時じゃないと会いに来てくれないんだから」って拗ねたりしているような気分にもなったし・・。遺影もね、とっても可愛くて幸せそうで・・最初はしばらく会わなかった時間を後悔したり、こうしてあげたらああしてあげたらと悲しさ一杯でした。初めて死んでしまった人間に触れましたが、柔らかいのには驚きましたが、ドライアイスで冷蔵状態で冷たいのでびっくりしましたが・・・。いざ骨になってしまうと人々も感情が一段落するのか、係の人の、コレがのど仏ですとかの解説の時は今まで男泣きに号泣していた大男が、興味津々の小学生のようになって「へえ〜〜〜っ!」って言う顔で覗き込んでたり(笑)、骨壷に全て収めた後に「ではこちらはどなたがお持ちになりますか」という親族への問いかけに無邪気な彼女の甥っ子が(8歳)ハイ、と手を上げたり・・(笑)、悲しい中にもちょっとしたクスクスがあったりして、いつも面白いものを見つけては笑っていたことの多い私たちだったから、泣いたり笑ったりの一日でした。

私にはこれだけ近い友人の死は初めての事だったので、やっぱりなんとも言えない気持ちには時間の経過が必要ですが、人の死から学ぶものと言えば、今ある命を一生懸命生きる事と、愛する人(家族、友人)へとのかかわりを大切にする事。皆さんもどうぞ、しばらく会ってない友人に電話やメールをしてみて下さい。喧嘩してわだかまりがあったりするけど気になる人がいる人はなおさらの事、元気にしてた?と声を掛けてあげてください。ホントにね、もう一度ゆっくり話がしたかった、そんな私のような気持ちになる前に、ね♪

*まりこさん、今回の事で色々と話を聞いていただいて、また素晴らしいアドバイスを頂いてありがとうございました。
author:POP, category:ディープな話, 17:00
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