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沖縄 パート3
どんよりとした曇り空の到着日だったが、翌日は天気が良かった。泊港から出航するフェリーに乗るためにターミナルへ向かう。フェリーはそこそこの大きさがあり、離島である渡嘉敷島で生活する人なのか車も積み込めるくらいだった。出港も近づいたころ、数名の女の子のグループが走ってきて戦場にいた友人らしき人に紙テープを投げる。ついでにセシィも紙テープを数本貰い旅気分もなかなかのものだ。泊大橋をくぐりフェリーはぐんぐんと沖へ進む。しばらくすると泊港も彼方へ消えはじめ、5分違いで出港したフェリーも並行して来てそれがだんだんと右と左へ分かれ始める。那覇から西へ30キロの距離だが沖へ行くと昨日の低気圧の影響か、うねりも出始めデッキの後ろにあるベンチには学生が数名倒れていた。こんなうねりが初めてのデーカンはグロッキー気味でしばらく抱っこしていたら寝てしまった。セシィは揺れる船旅をたまに襲う波しぶきを浴びながら楽しんでいた。

1時間半ほどでフェリーは大自然を感じさせる島の側面をなでつつ、港に到着する。それぞれの宿から迎えが来ていて私たちの宿の名前を探すが見つからず。気がつくと待合室で待っているのは私たちだけ・・という場面に。タクシー代わりの送迎の人が声をかけてきてくれたが、迎えが来ますんで・・となかなか来ないから電話をした。慌てて?迎えに来てくれたのだがまあ島時間ということで・・。山を越える形で港と宿は島の反対側に位置している。渡嘉敷で一番人間の多い「阿波連(あはれん)」というエリアに今回の宿、【リーフイン国吉】がある。一番人間の多いと言ってもひっそりと静かで、人はそれほどでもないような。来ました、島に!というのどかな時間が流れている場所だった。ペンションと名がつくものの部屋はセルフサービスで敷く布団だったり、それでもバスルームは思ったよりきれいだった。どこの宿からもビーチまで数分の距離でこじんまりとした町内。ビーチまで続くほんの数十メートルの道の両側には居酒屋だとか食堂だとか、浮き輪や水中メガネ、カヤックなどのレンタルがあったりちょこっと賑やかな感じもしないでもないがそれもほんの一瞬だ。すぐにビーチに出てみると水は透明。これだけでもありがたいが薄曇りで少し肌寒い。子供たちは水着に着替えたがデーカンは結局入らず。セシィも少しだけ入って出てしまった。波の音とたまに頭上彼方を通過する飛行機の音が聞こえてくるだけでほんとにのんびりできる。石垣島や宮古島、久米島といった飛行機が乗り入れている島を除けば沖縄の離島などはこんなものだろう。当日も午後から入れたのだが翌日ダイビングをやることにした。夕食は一階の食堂で。食後にはサンシンのミニライブでもてなしてくれた。春休みにもかかわらず私たち以外には二組ほどの宿泊客でどこもかしこものんびりとした雰囲気。食後はまたビーチに星を見に行く。子供たちはその辺をげらげらと笑いながら走り回っていた。普段与えられすぎている物に溢れていて、無から生み出す遊びの楽しさも知らないと思ったが子供というのは何もないならないなりに何かを考えだすものだ。きれいな海があって静かな時間があって、と島の人にはほんの日常で退屈で仕方ないことはないものねだりであり、逆に都会人にはうらやましく思えて仕方ないことなのだ。

朝起きるとかなりいい天気で私たちのテンションも上がりっぱなし。朝食前後にいたたまれなくなりビーチに行く。人もまばらな季節はずれのビーチの先にはまばゆいばかりの青のコントラストが広がる。さすが渡嘉敷だ。そうは言っても宿の二男でダイビングなどを切り盛りするハルヒロ君によると「自分たちが育った海」と今ではとてつもなく違い、当時の、とは言わないまでも出来れば少しでもそこに近付くように何とかしたいともがいているそうだ。

食後しばらくしてダイビングに行くべく準備をする。港に着いて「では器材のセッティングを」と言われて我に帰る。ダイビング自体は10数年ぶりだし、100本以上潜ったその後半は海外でのいわゆる「殿様ダイビング」だったので、ポイントに着けばクルーがBCジャケットと呼ばれるタンクを装着したベストを着せてくれて自分は海に潜り、上がれば次のダイビングの準備までしておいてくれるというものだった。タンクを前にしてどうだったっけ?としばし考え込む。最初にタンクの空気の匂いを嗅ぎ異常がないか調べる、という作業なんて、初歩の初歩でやったきりだ。む・・・・。ポイントまでは船で10分かからないくらいの場所にあり、リーフの豊富な渡嘉敷では水深はあまりない。かつてパラオの海で足元が700mとか落ち込むドロップオフで「あの世」とも言わんばかりの景色を見たり、ドリフトと呼ばれる海流に身を任せるダイビングをした私にとってはちょっと物足りない気もしないでもなかったが、それはそれ、だ。リーフの周辺を回るので小魚が多く、その周りには白砂の海底が広がる。途中でかすかーにかなり遠くから響いてくる「音」に遭遇する。ハルヒロ君、すかさず海中ノートで「クジラの鳴き声」と教えてくれた。ほ〜〜ッ、そうなんだー、と感激する。午後は家族で船に乗り込み、私はダイビング、残りはシュノーケリング・・となるはずだったが、デーカンは怖がってNG。ダンナと船に残った。

シャワーを浴びて髪を乾かしているとセシィが息を切って「ママー!わっはっは〜、って乾杯する人がいる!」という。???と思ったら「お笑いの!」というのでもしや・・と思いビーチに出かけてみると何やら都会から移住したという家族をレポートするために「髭男爵」がいるではないか!隙をねらって記念写真を撮る(笑)。ダンナもよくわからないが一緒に撮る(笑)。ちなみにグラスの中身はファンタグレープだそうだ。


翌日は天気もあまり良くなかったがセシィが体験ダイビングをやる。日帰りで島にやってきたという親子も一緒だ。島に来てからちょこちょことシュノーケリングをやらしていたので、落ち着いて潜ることができたようだ。夜は雨だった。前日くらいから見かけた宿泊客は沖縄県の職員らしく、今悲劇的に変わりゆく沖縄をどうにかしようという会議が渡嘉敷で開かれたそうで、そのことでいろいろと話をした。一番の問題は沖縄の命でもある珊瑚の白化現象、死滅などでサンゴの移植に取り組んでいる団体があるというが、実際にそのサンゴが根付いてサンゴ礁を取り戻せるかという問題は難しい、ということ。そんな状況でも何かをやらないことには始らないのだ。渡嘉敷でも島の発展か自然の保護かで揺れているところもあるらしい。島の人にすれば死活問題で「自然を保護せよ」とばかりも言ってられないそうだ。渡嘉敷には山がありきれいな水がある。昔に比べればとぜいたくを言えばきりがないだろうがまだまだ海の色は果てしなく青く、ただバリでがっかりしたように発展の代償が大きすぎる、なんてことにはなって欲しくない。沖縄からのアクセスも天候によるため、難しい部分もあるだろうが、エコツアーを提案したり島のダメージをなるべく少なくとどめながら繁栄しないでも島民たちが十分に暮らしていける収入を見込めるようなシステムを導入して欲しい、と勝手に思う。

こんな景色を毎日見て過ごすのはやっぱり退屈になるんだろうか?


島を離れる朝、宿の前で記念撮影。滞在中一緒だった年配の夫婦と同じ船に乗り込む。那覇に着いて国際通りでお買い物。塩味のちんすこうが美味しかったのでお土産に買う。渡嘉敷で生産しているとまぐろジャーキーはこれまた絶品で書いていたら食べたくなった。レンタカーを返却して空港でまた別れる。帰りの飛行機のシートは2階部分の前列二席で私はそのすぐ後ろの前にシートがない窓側。足も思いきり伸ばせる。後で知ったがスカイマークはお菓子のセット(小さいが)と飲み物はペットボトルでチョイスできるようだ。ANAは飲み物しかなかったぞ・・。横浜駅で食事をして現実の荷物の整理や洗濯が待つ我が家へ到着したのは午後10時を過ぎたころだった。
author:POP, category:, 12:34
comments(3), -, - -
Comment
おひさです〜
POPさん、何か雰囲気が変わったよ〜
若返ったみたい〜(笑)
ちゅぐ, 2008/07/14 8:09 PM
あら〜、お元気?みんな大きくなったよねー。
セシィは150cmあるよ!

そうそう、目の輝きが違うでしょ♪(こら)
ちなみに左じゃないからね。
POP, 2008/07/15 9:41 AM
うん、右じゃないのは知ってるからw
ちゅぐ, 2008/07/15 11:07 PM